日本のゲーム文化を紐解いたサイト「GAME CHRONICLE」が開設!注目のインタビューをご紹介!

日本のゲーム文化を紐解いたサイト「GAME CHRONICLE」が開設!注目のインタビューをご紹介!

今や日本のゲームは世界でも随一の文化となりましたが、そんなゲーム業界の歴史を振り返り、日本の「文化」を海外に発信するプロジェクトとして10月30日にサイトが開設されました。
筆者もゲーム好きとしてとても興味のあるサイトですので、今回はそんなGAME CHRONICLEについて簡単にご紹介していきたいと思います!

GAME CHRONICLE とはそもそも何か。

このプロジェクトは全日本空輸株式会社(ANA)が日本が誇る文化であるゲームについて世界へゲームの魅力を発信していくためのプロジェクトです。

eスポーツなどの最新ゲームだけでなく、1980年代以降のゲームのハードやソフトなどの歴史をアクションゲーム形式で楽しめるようになっています。

注目の部分は今の日本のゲームの歴史を築き上げてきたと言っても過言ではない11人によるインタビューですね。開発者だけでなく、eスポーツプレイヤーなどもインタビューに答えており、メーカーの垣根だけでなく、一プレイヤーのインタビューも掲載されており、他ではなかなか見られないものばかりです。

特に気になったインタビューについてご紹介!

レトログですから、やはりレトロゲームに関するインタビューが一番注目すべき部分だと思っています。今回は特に気になったインタビューについてご紹介していきたいと思います。

ファミコンの開発者が語る、ゲーム業界の発展の理由

最初のインタビューでは、日本にゲーム旋風を巻き起こしたファミコンの開発者である上村雅之氏と、人気ゲーム雑誌「ファミ通」の編集長である林克彦氏のインタビューです。

上村氏は80年代以前を振り返り、この当時は日本ではビデオゲームがあまり研究されておらず、アメリカから見て日本のビデオゲームはそこまで評価の高いものではなかったと語っています。

確かにこの当時はアメリカの方がビデオゲームに関しては開発が進んでおり、「オデッセイ」で家庭用ゲーム機の業界を切り拓いたマグナボックスや、アメリカで大人気ゲーム機になった「Atari 2600」を開発したアタリなど、すでにゲームが人気となっていましたね(後にアメリカのゲーム業界に降りかかる悲劇を考えると何とも言い難い部分はありますが)。

そんな中で登場したのがタイトーの「スペースインベーダー」。大ブームになりましたよね。スペースインベーダーはブームの後に当時学生だった孫正義氏がアメリカへ持ち込んだり、Atari 2600への移植などもあってアメリカでもヒットしました。

マイクロコンピュータにてスペースインベーダーが実現したことはテレビゲームにつながる橋渡しとなったと上村氏は語っています。スペースインベーダーが様々なゲームに影響を与えたのはとても大きな出来事ですよね。

ファミコンが人々にもたらした功績、そして何故ファミコンはブームになったのか

林氏が真っ先に挙げたファミコンの功績は「ゲームがこんなに楽しくて面白いんだ」ということを子どもたちに知らしめたということです。

言われてみれば、この当時は「家庭用」ゲーム機はまだまだ普及されておらず、ゲームの楽しさを知る子どもたちはさほど多くなかったと思います。

更に林氏はスーパーマリオブラザーズを例に挙げ、コントローラを持って画面上のマリオが動くだけでも楽しかったと語ります。

それだけファミコンの存在は革新的なものだったと言えますよね。筆者も初めてゲームに触れたとき、画面上の戦闘機が動くことに感動しました。現実ではありえない動きを画面上で実際に動かして再現できるのが衝撃だったんだと思います。

また、ファミコンが何故ブームになったのかを林氏は「ファミコンでしか遊べないゲームが出てきた」としています。ドラクエやFFといった代表的なRPGを例に挙げ、他にも様々なジャンルのファミコンゲームが今のゲームの源流を作ったと語っています。アーケードにはなかったRPGやシミュレーションゲームを家庭に広めたのは間違いなくファミコンですよね。

日本のゲーム業界の夜明けを語る

次に注目したのは、先述したスペースインベーダーの生みの親である西角友宏氏と、数々のレトロアーケードゲームが稼働している人気ゲームセンター「ミカド」の高田馬場店の店長である池田稔氏のインタビューです。

アーケードゲームをよく知るお二方のインタビューということもあり、こちらに注目してみました。一方は開発者でもう一方はユーザーということで、それぞれの視点で語られているのが注目ポイントですね。

スペースインベーダーの生みの親、西角友宏氏が語る誕生秘話

スペースインベーダー/ファミコンソフト

日本に一大旋風を巻き起こしたスペースインベーダーですが、そのきっかけはアメリカに負けないゲームを作ろうというところがスタートだと西門氏は語っています。

西門氏は当時のアメリカではブロック崩しのゲームが大変に人気があり、それに負けないゲームを作ろうとしていました。最初はシューティングゲームではなく、ドライビングゲームをベースにして考えていたそうです。

西門氏はキャラクターデザインから企画まで一人でこなしていたそうですから驚きです。あの敵のキャラクターデザインは子供の頃、宇宙戦争などを題材とした本で登場する火星人や、海洋生物をイメージしたと語っています。

先述したようにアメリカでもスペースインベーダーは大人気となりましたが、西門氏は1978年にアメリカで行われたイベントで沢山のスペースインベーダーの筐体が並ぶのを見て実感したそうです。

実際のプレイヤーとしての視点で語る、スペースインベーダーの影響

ゲームセンターミカドの店長である池田稔氏は、スペースインベーダーというたった一つのタイトルで様々な影響を及ぼしたと語っています。

影響を与えた要素の一つとして、「敵が攻撃してくるゲーム」のきっかけとなったのはスペースインベーダーだとしています。確かにアメリカでもスポーツゲームやブロック崩しなどが主流だったことを考えると非常に革命的な要素ではないかと思います。

西門氏も池田氏も同じことを語っていて印象的だったのは、「大人も子供も幅広い世代が遊んでいた」という点ですね。

今のゲームのことを考えると当たり前の話かもしれませんが、この当時はゲームは大人の遊ぶものだという印象が強く、子供がゲームセンターへ行って遊ぶという光景は非常に珍しかったのです。それを考えると確かに衝撃的かもしれませんね。

池田氏は、「ゲームセンターの魅力は、似たような趣味を持っている仲間と一緒の場を共有していること」だと語っており、その起源となったのは間違いなくスペースインベーダーだとしています。

今でも語り草となるスペースインベーダーですが、改めて思い返すととても凄いゲームだったと感じますね!

まとめ

ゲームという文化は改めて振り返ってみると、偉大なものだなと感じさせられますね。今回このGAME CHRONICLEは海外向けへの発信という名目になっていますが、人気のきっかけとなったのは、アメリカに負けないようにという考え方だったと聞いて面白いなと思いました。

ゲームと聞くとどうしてもネガティブなイメージを抱く方も一定数いらっしゃると思いますが、ゲームは本当に素晴らしい文化です。誰でも楽しめるいいものです。是非一度手にとって楽しんでみてほしいですね!そしてこのGAME CHRONICLEをきっかけに世界に日本のゲームの良さが広まって欲しいです!

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